コラム
神社には神様がいると言われているが

神社には神様がいると言われているが

最終更新日 2024年5月3日 by citations

「神社に神様はいるの?」
「七五三などの行事を行う理由について知りたい」
「神社本庁って何?どこにあるの?」

日本人は神様を信じる国民といえます。
世界には様々な宗教がありますが、日本の場合には日本神道と呼ばれる考え方が根付いているのが特徴です。
しかも人々の生活の中にかなり入ってきており、日本人の生活の中でそれらと触れる事は当たり前になっているわけです。
例えば、神社と呼ばれる場所がありますが、ここでは子供の頃から何度もお世話になっているかもしれません。
比較的最初にお世話になるのは、ほとんど記憶がない家ですがお宮参りと呼ばれるものになります。
生まれてから100日目位にお宮参りをするわけですが、この時お寺などに行く人はほとんどいません。
大抵の場合神社に行き、そこでお祓いをしてもらいます。
このお祓いと言うのは形式的にやっているような気がしますが、災いの元をなくすと言う意味で非常に重要になります。

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七五三やお宮参りといった行事ができた理由

そして、次に訪れる大きな行事の1つとしては、七五三があるわけです。
男の子の場合には5歳の時に1回だけ、女の子の場合には3歳と7歳の時にそれぞれ訪れるわけです。
ここでもお祓いをしてもらうことになりますが、やはり特に不思議がることもなく抵抗もないはずです。
このような行事ができた理由は、江戸時代がそれ以前までさかのぼると言われています。
例えば七五三の歴史をさかのぼると、ある程度明確の歴史ができているのは実は江戸時代になります。
この頃なぜ753ができたかと言えばそれは病気をする子供が多かったからと言えるでしょう。
明治時代などでも同じですが、生まれた子供のうちほとんどは5歳位までになくなっています。
ほとんどと言うと語弊があるかもしれませんので、この辺は家にもよって異なりますが例えば5人の子供を産んだ場合でも、5人とも成長する例はあまりありません。

昔の家庭事情

現在であれば5人子供を生めば、ほぼ5人とも普通に成人するまでは生きているでしょう。
そして大人になってからも長く生きるケースがほとんどになります。
しかし昔は、5人の子供を産んだ場合2人から3人の子供がなくなっているケースが少なくありません。
ひどい家になると、全員なくなっていると言うことになります。
大抵の場合、今なら治すことができる病気が原因ですが、栄養失調なども理由になるかもしれません。
特に大飢饉の頃の江戸時代や昭和の最初の頃は栄養が十分に行き届いておらず食物もなかったため、そのような状態に陥ることがありました。
いずれにしても、子供を失った親は悲しみに暮れるのは間違いありません。
そのような歴史が長く続き、753をするようになったと言われています。

神社は日本全国どこにでもある

神社に行き、神様に健康な状態を維持できるようにお願いするといった形です。
お賽銭を投げるといった行為も、これに近いかもしれませんが、いずれにしてもそこには潜在的に神様がいて助けてくれるに違いないと言う思いが、日本人の中ではあるわけです。
しかも、日本に数カ所しかないならばともかく、どの地域にも必ずあるのが特徴です。
これは、全国で753がいまだにある理由の1つと言えるかもしれません。
もし東京と大阪と仙台あるいは札幌などの大きな都市にしかなく、そこまで行くのが大変な場合は地方の方であれば自然と七五三の行事自体がなくなっていくでしょう。
ですが大抵の場合、家から10キロ圏内に小規模化中規模の人事が必ずと言っていいほどあります。
例外的に北海道などは、神社と呼ばれるところがあまりありません。
これは、北海道が開発されたのが明治時代以降だからです。
神社は江戸時代には必ず1つありお寺と一緒にセットになっていました。
これはお寺と神社が隣同士にあると言う意味ではなく、必ず1つの村に1つずつあったわけです。

最近のお参り事情

このような、歴史がある中で人々は自然と兄弟にお参りをするような流れができました。
毎年行くのは初詣かもしれませんが、初詣もやはりお寺に行くのではなく携帯のほうに向かっていきます。
そして、その年の健康や安全をお祈りお願いをすることになります。
実はこのお願いと言うのは正式なものではなく、実は近いを述べていると言われているわけです。
つまり神頼みをすると言うよりも、自分が誓いを立てて神様に1年間頑張るのでよろしくお願いしますといった形でお願いをします。
受験勉強で境内に絵馬を飾る人も多いですが、これも神頼みをしていると言うよりは、自分は合格するのでそのために頑張ると言う誓いを立てていると言うことです。
当たり前ですが、絵馬に合格宣言を書き家で何もしなければ、良い結果などが起こるわけがありません。
あくまで自分はこれから今まで以上に頑張るので見守っていてほしいと言う誓いを立てているに過ぎませんので、その点を勘違いするべきではないです。

まとめ

参拝する場合も、特に形式ばったことをする必要はありませんが、一応お辞儀の回数や手を合わせる回数なども決まっています。
これらをよく理解した上で参拝してみると良いかもしれません。
絶対にこの日に行かなければいけないと言う事はなく、近くに境内があれば立ち寄ってみても良いかもしれません。